サワディーカッ(こんばんは)!、パタペディア管理人KEIです。 今回タイの首都バンコクから北に60キロほどの位置の「アユタヤ」にある「日本人町跡」へ行ってきたので、レポートをまとめました。
日本人町(日本人村)について
日本人町とは、14世紀~18世紀までアユタヤ王朝に存在していた町で、移民としてアユタヤへやって来た日本人達が集まり、貿易や傭兵として生活をし、最盛期には2000人程の日本人が住んでいたと言われています。
最終的に日本人町は焼き払われてしまいますが、その跡地に記念館が建ち、日本人町の時代を知ることが出来る施設となっています。
※タイの観光サイトや施設内の石碑等「日本人村」「日本人町」両方の呼び名が存在しておりました。当サイトでは「日本人町」にて表記しております。
日本人町地図
アユタヤのヒストリー展示物
施設の中に入ると、アユタヤ、日本での時代背景を確認できるヒストリーが展示されています。 他にもオランダで出版され残っていた当時のアユタヤの地図も展示されており、当時の日本人町の場所を確認することが出来ました。
敷地内には鳥居もあり、ここがタイである事を忘れてしまいそうになります。 しばし施設内を進んでいくと日本人町頭領 山田長政の記念館があります。
山田長政記念館
記念館には、当時の生活風景を再現した部屋などが展示されていました。
山田長政頭領の説明ボードです。 スペインからの侵略を2度退け、
「オークヤー・セーナー・ピムック」のタイ名として活躍した内容が書かれています。
日本人町の頭領でもあり、800人の日本人義勇兵の隊長として活躍をしました。
別の部屋で説明映像も観ることが出来るので、より理解が深まります。
アユタヤ伝統の食べ物、お菓子のレプリカも展示されてました。
再現絵画にも伝統のお菓子が描いてあります。
アユタヤ刀の複製品が飾られていました。日本人町には、戦国時代に君主を失った多くの侍が集められ、
傭兵としスペインからの侵略を防いだと言われております。
遥か昔に海を渡ってやってきた日本人がアユタヤに移り住み、最終的には焼き払われ残った者もタイ文化の中に溶け込み日本人町は消滅してしまいましたが、この施設があることで後世にその歴史が受け継がれていくことに深い感謝の気持ちを持ちました。 アユタヤにお越しの際は、ぜひ一度足を運んでみて下さい。